木花万乃プロフィール
きばなまの
1947年11月11日生まれ

数学講師をしながら、長年運命学を研究してきました。
ある時、神様からのメッセージを受け取るようになり、皆様にもお伝えしなければと、神示を公開するようになりました。また、これまで研究してきた運命学によって、皆様の魂の浄化のお手伝いを少しでもできればと考えた「道しるべ」の鑑定もしています。


神様との関わりや、なぜこのような道に進むことになったのか、詳しくは↓をご覧下さい。
数字について
なぜ私が神様からのメッセージをお伝えするようになったのかを説明するには、どうしても「数字」との関わりが切り離せません。

私は子供の頃から暗算の訓練をしていまして、7,8桁の計算を暗算ですることができます。
計算は頭の中でするのが当然になっていますから、私には数字を見るとついつい計算をしてしまうと言う変な癖があります。

おかしな話ですが、足したり、引いたり、素因数分解をしてみたり、計算せずにはいられないのです。

ですから、数字を用いる運命学にも昔から大変興味があり、姓名判断や数霊学の研究をするようになっていきました。

その研究の中で、数字の持つエネルギーというか、役割というか、そのような存在を実感しておりました。

この時点では、ただ数字が好きと言うだけで、神様の事には興味もありませんでしたし、職業は塾の講師をしておりましたので、運命学を仕事にしようとは全く思ってもいませんでした。

10年程前でしょうか。
私は研究の中で、ヘブライ語に辿り着き、数字に関するある一つの答えを導き出しました。
ヘブライ語は人の名前も物の名前も全て数字に変換することができます。

この発見は数字にはエネルギーがあると言うことの確信に繋がりました。

そこから、神様からこの道へと導かれていくのですが、それはまだ後の話です。
最初の出会い
話は一旦30余年前に遡ります。

私は元々福岡の生まれですが、結婚後はしばらく宮崎に暮らしていました。

神話の郷とも言われる程ですので、たくさん立派な神社がありますし、木花咲耶姫様ゆかりの土地もあります。

ですが、私は無神論と言うか、正直わからないというのが本音で、当然家に神様をお祀りすることもありませんでしたし、主人の地元は岡山ですから、墓参り、先祖供養もろくにしないという、今考えれば大変罰当たりな生活をしておりました。

私は主婦で平凡に暮らしていましたが、ある日から毎日同じ夢を見るようになりました。
海の中に鳥居があって古い時代の髪の長い女性が立っておられると言うような夢です。

あまりに続けて見るものですから、怖くなって、あるお寺の住職様にお尋ねした所、
「そこは宮島です。あなたの御先祖様と何か関わりがあるようですから、行ってみなさい。」
と仰いました。

とりあえず訳が分からずとも、行ってみようと思い、宮島にお詣りしましたが、やはり当時、神仏に興味が無かった私は、ただ、きれいだなぁ。と思っただけで、特に感じるものはありませんでした。

その夢はこれ以降見なくなりましたので、この事もすっかり忘れてしまうことになります。

厳島神社の御祭神は市杵島姫様。弁財天ともされている神様ですが、この神様と再び出会うのは、この20年後の事です。
このはなさくやひめ
それから20年後、主人の実家がある岡山に暮らすことになっていました。

岡山では10年余過ごしたのですが、大変濃密で、神様から強く導かれた10年でした。

20年程経っても、私は相変わらず信仰心薄く、仏壇もお盆くらいにしか戸を開かないような状態で、神様とはまだまだ縁遠い状態でした。

岡山に引っ越してからは、何かとうまくいかず大変追いつめられた状態が続いていました。
私は、不思議と神職の方やお坊様とご縁があるのですが、この時、あるお坊様が、様子を見に来てくださいました。

その方は、神様とも交信をされる方で、神様が弁財天の掛け軸が必要だから持って行きなさいと仰ったのでと、竹生島から掛け軸を頂いてきてくださったのです。

また、神棚が放置してあったので、きちんとしなければならないこと、先祖供養の大切さを教えて頂き、しばらくはきちんとしていましたが、状況が好転すると共に、のど元過ぎればで、元の状態に戻ってしまいました。

この頃はまだ、なぜ弁財天の掛け軸を持ってきてくださったのか、意味を考えることもありませんでした。

それから、また数年経ち2003年の事です。
この頃には、姓名判断の研究も、数霊の研究もかなり進んでいました。
ですが、それを神様に結びつけることはまだありませんでした。

この頃、一旦は落ち着きかけた問題が再燃したり、ある大きな事件があって私は体調を崩してしまいました。
さらに一週間ほど一睡もできない状態が続き、限界が近づいていました。

そんな中、明け方に意識が朦朧とした中で、突然目の前に掛け軸に墨字で書かれたような感じで、「木花咲耶姫」と言う文字が映像としてはっきりと浮かび上がりました。

そして、この時から神様の声をはっきりと認識することができるようになりました。

ですが、自分自身何が何だか訳が分からない状態で、「木花咲耶姫」という名前は、遠い記憶の中に宮崎でそのような神社があった気がする程度の感じでしたが、あまりにリアルな映像だったので、一体なんだろう?と思い調べる事にしました。

この時、記紀神話の事や富士山の神様であることを初めて知りました。そのくらい何も知らなかったのです。

暮らしていた家から、車で10分くらいの所に木華佐久耶比盗_社がある事がわかりましたので、とにかく行ってみることにしました。

そして、お詣りした時に、神様が声を掛けてくださいました。
「ようやく、詣ったな。待ちわびたぞ。」
学びの日々
岡山に引っ越してから、何とかこの神社に参拝するようにと促されていたそうなのですが、ギリギリまで追いつめられてようやく辿り着くことができました。
この時から、やっと神仏祭祀、先祖供養に力を入れるようになり、神社にもまめに足を運ぶようになりました。

とは言え、神様からの信号を受け取ることができるようになったと言っても、なかなか自分自身に起きていることを全て理解し、受け入れられるものではありません。

当然葛藤もありました。自分の頭がおかしくなってしまったのではないかとも思いましたが、それ以上に説得力のある神様からのお言葉により、多くのことを学ぶ日々が続きました。

投稿して頂きました質問に、どのような感じで神示が降りてくるのかとありましたが、この感覚は少し説明が難しいです。数字の暗号のような物が頭に降りてきますが、かと言って日本語として聞こえていないと言う訳でもありません。同時翻訳という感覚でしょうか。

私が計算が得意で数字が好きなので、そのような役割を与えられたのか、それとも、神示を降ろす為に、そのような訓練をさせられてきたのか、よくわかりませんが、ともかく神仕組みとはよくできているものです。

この頃は、神様のこと、家系の事を主に調べるよう指導されていました。

神様と交信できるから、何でも教えてもらえると思う方もいらっしゃるかもしれませんが、基本的に神様は調べて分るようなことは、まず教えてくださいません。
「自分で調べなさい。」「自分で考えなさい。」が、基本です。

木花咲耶姫様の事もよくわからず、火の中で子供を産んだって本当かな?とか、真剣に考えましたが、そんな訳はありません。

ある時、木花咲耶姫様の父君様が大山祇命(おおやまずみのみこと)だと言うことを知りましたが、この時はとても驚きました。
私の祖母の名前がとても良く似ていたからです。

このことがきっかけで、私に今の役割が与えられた理由の一つに、大山家との関わりがあると言うことがわかりました。

その後、木花咲耶姫は宗像三女神の多紀理姫だと言うことも知ることとなり、弁財天と言われている同じく宗像三女神である、市杵島姫様との繋がりも分りました。

30年近く前に見せられた夢の意味がようやく、ここで理解できました。
厳島神社は市杵島姫様だけではなく、宗像三女神を祀る神社ですので、そこには当然、名前は違えど、木花咲耶姫様もいらっしゃいます。
神様はそんなにも以前から私に早く気づけとメッセージを送って下さっていたのです。
弁財天の掛け軸が必要だったのは、恐らく、弁財天は宗像三女神の総称なのだからだと思います。

このように、家系のルーツを調べたり、神様のことを調べることで、自分の置かれている立場を少しずつ理解させられていたように思います。

神様のことを調べるほどに、自然と立て替え立て直しに関する情報に目が向くようになったり、自分の続けてきた数字の研究に関するヒントも表れ、確信へと繋がってきました。
全てが連動していてまさにパズルのピースが埋まっていくような感覚なのです。

ヘブライ語は、「ひふみよいむなやこと」のひふみ言霊と通じていること。
人の運命は大別すれば、その、ひふみよいむなやことの10通りに分けられること、
それをさらに集約した物が、陰陽五行説として伝わっている木火土金水の宇宙エネルギーであること。
名は偶然につくものではなく、その人の持つ課題、カルマなどを表すものであること、
人の縁に偶然はなく、それは全て数字によって表すことができること。

すなわち、かつてピタゴラスも言ったように万物の根源は、「数」であり、「数」は宇宙そのもので、宇宙の法則は「数」で表すことができるのです。

この研究はそう簡単に全てを解き明かせるものではなく、今でも勉強の日々ですが、この研究をミロクの世においても通じる物にしていくことが、私の一つの役割だと思っています。

数字が大好きで、研究することも得意で、この事は全く苦にならないのですが、神事に関しては、この期に及んでも私にはまだ戸惑いがありました。

神様は時折、お試しをされます。私の意識が成長したかどうかの試験です。
その度に「まだまだ、信じる気持ちが足りぬ。」と叱られてしまいます。それは神罰という形でも表れます。

神様は何度も何度も、私が神の存在を信じるよう、その存在を私にお示しくださいました。
ですが、神様の仰ることは、この頃の私にとっては無理難題とも言えることであったり、迷う気持ちもあって、また神罰が下ると言うような繰り返しでした。

そのような日々の中で、ある時神様は、神示を皆さんに公開し、今地球は大変な危機にあることを伝えなさい。と仰いました。
当時の私にとっては、それはとても大それた事で頭の中は???です。一体どうやって・・。
覚悟
神示を受け取るようになってからしばらくは、神示を書き留める事をしていませんでした。
神示を受け取る事に自分自身にまだ戸惑いがあるなかで、それを人に伝える事など考えもしなかったからです。

しかし、神様は神の存在を人に知らしめ、認識させよ。と仰います。

そこで、これまで研究してきた運命学で得た結論を知らせる事なら自分にもできると思い、それを介して神様に近づいてもらえたらと、今の道しるべの原型の物を作るようになりました。2004年の春の事です。

最初は神様の存在をほのめかす程度の物でしたが、2004年は新潟・福島・福井を集中豪雨が襲い、上陸した台風は10個で、私が暮らしていた地域も冠水の被害を受けました。また、浅間山の噴火、年末にはスマトラの大地震が発生しました。

そのように状況が悪化する中で私は少しずつ覚悟する事を迫られていたように思います。
立て替え立て直しの事を少しずつでも知らせていかなければ・・。と感じるようになり、人の意識改革の必要性も記すようになりました。

とは言え、この頃は本当に身近なご縁がある方にだけにお伝えしていただけで、まだまだお役割を果たせているとは言えない状況でした。
しかし、それ以上の方法を当時は思いつきませんでした。

2004年の終わりか、2005年の始めくらいからだと思いますが、この頃から宮崎に戻り暮らしなさいと神示が降りるようになりました。
私が役割を果たすために、しばらくの間、宮崎に移り住まなければならないとの事でしたが、これも当時は考えられない事でした。

この頃もよく神様の事を調べていましたが、その中で内田万寿姫と言う方の伝承が宮崎に伝わっている事を知りました。この方のお名前が私の本名に似ていますので心惹かれて、その伝記を取り寄せて読んでみたのですが、神言によって人を導き、榎原神社の創建に尽力した方だそうで、境内摂社の桜井神社にお祀りされています。
名前が似ているだけでなく、出身地も一緒で宮崎に移り住んだ事まで同じでしたので共感を覚え、その内宮崎に行った時にお参りしてみようと思っていました。

2005年8月頃から、神様から宮崎行きを急かされるようになりました。

過去の神示の一部です。
宮崎での暮らしの方法はたくさんある。そも、自然と見えてくるであろう

神々のふるさとにて木の花咲耶とともに歩めよ。
しばしとどまり。

宮崎の状況はそなたを早く待ちにけり。
神国、火の国、日向の地はそなたを清め、またカンも冴え、神との交信も深くなりにけり。

宮崎での生活は思ったより何とかなるぞ。
人のために行動に移されよ。すぐに。

神々、天皇家のふるさと、宮崎にてまた気づくこと多かりし。

宮崎に導かるるはやがてくる。
苦難の時代への準備ゆえに急げよ。

そなたが宮崎へ行くは神命ぞ。


このようなお言葉に後押しをされ、とりあえず住まいを探してみる事にしました。
ですが、わが家には猫がいるのですが、この猫達はわが家を守りしものと神様から言われている大切な猫で、その猫達を飼える物件を探さなければならず、また、やはり生活のためには塾もしなければ・・。とも思いますし、そんな都合の良い物件がそう簡単にあるわけがないと思っていました。

とりあえず一週間くらい宮崎に滞在したのですが、やはり簡単には見つかりません。
途中で神社にもお詣りして、お言葉を頂きましたが、神様は見つかるから大丈夫。の一点張りです。
そう言われても・・。と言う思いで、もうほとんどあきらめていました。

最終日の朝の新聞広告に犬可の広告を出していた不動産屋さんがあったので、最後に電話をしてみて、それがダメならあきらめて岡山に帰ろうと思っていました。
電話をしてみると、あっさりと猫可の物件があると言われたので早速見に行きました。

行ってみると大変立派な家で、塾をするにも申し分なく、その上猫も飼えるという事で、こちらから本当に良いんですか?と聞いたほどでした。

神様の言うとおり、物件は見つかりましたが、それでも私は迷っていました。
当時の状況はとても引っ越しができる状況ではなかったからです。

とりあえず考えてみますと、担当の方に伝え物件の地図を頂きました。
その地図を見ると、隣に見覚えのある出版社の名前がありました。
それは、先述の内田万寿姫様の伝記を出版している出版社だったのです。


神仕組み信じる心がまだまだ足りぬ。
宮崎での生活はいかなるか、思い悩みたる心、まだまだであるぞ。
宮崎でおきしこと、よくよく考えてみられよ。
猫を持ちて引っ越すには最適の家であるぞ。偶然であると思っているのか。
万寿姫の本を手に入れたも偶然であると思うか。何一つ偶然なし。

今までの事をよくよく思い起こせよ。
信じる心が足りぬ。
覚悟
このような出来事によって、宮崎にて神示を伝えていくことが使命であることを思い知らされ、またその様な状況に不思議と動かされ、いよいよこのサイトを立ち上げることにしました。
ただ、公開したからと言ってそんなに多くの方には見ていただけないだろうと言う気持ちもあったのですが、開設当初から大変多くの方が来場してくださり驚きました。

お陰様で、今ではさらに多くの方に読んで頂くようになっており、このサイトは今の所神様からも合格点を頂けているようです。

神様が仰いますには、このサイトの内容は真摯に受け止め読んで下さっている方が多いそうです。
大変有り難いことだと思っています。

大分掻い摘んでしまいましたが、おおよそ、このような経緯で今の仕事をさせて頂いています。
他にもお導きの話はたくさんあって、あれも書こうか・・。これも書こうか・・。と思っておりましたが、キリがありませんので、それはまたの機会にして、今回はこの位にしておこうと思います。

私が与えられたお役割を本格的に努めるようになって宮崎に導かれた意味がはっきりするのはこれからの事だそうです。
ある程度は教えて頂いていますが、それもやはり今の自分にとっては想像の付かないことであったりします。

このような役割を与えられているからと言って、私も皆様と同じ迷い多き人間であることに違いはありません。
人としての成長、魂の浄化に終わりはなく、少しでも魂を綺麗に磨いて神様にお返しするのが全ての人に与えられた人としての役割です。

今でも時に、神様の意に沿わないことをしてしまうこともあったり、右往左往しておりますが、私も学び、魂の浄化に努め、人として成長を図りながら、今後も皆様のお役に少しでも立てますよう、活動してまいります。

これからもよろしくお願い致します。

2008年5月6日